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Facebookで着飾り、Twitterで承認欲求を満たす日本人

「日本人」とタイトルに入れていますが、そもそも私自身が海外事情に疎いため、付けるべきなのかは正直迷いました。ですが、私が見て考えてきてここに書くのは「日本人」のみのことなので、そのままにします。

私は前職で1年9ヶ月、現職で約4ヶ月、ソーシャルメディアの活用を軸とする仕事に携わってきました。企業のFacebookページ立ち上げや、キャンペーンの企画、アカウント運用支援、実際の運用、ユーザー動向の解析、TwitterやFacebookを活用したスマートフォンアプリの企画やUI/UXについてかじったり、制作進行をまとめたり。たくさんの人に支えられ助けられ自分ひとりでやったことなんてありませんが、あらゆる場面でがむしゃらに手を動かし、頭を動かしてきました。大学での卒業制作もソーシャルメディアをテーマとしたようなものだったので、ソーシャルメディアのことばかり考えて3年前後といったところでしょうか。(ソーシャルゲームにおける人間性に関してはまだまだ考え始めの段階です)

以降は、さまざまなTwitter、Facebookのアカウントを運用したり、ページ管理をしたりして行き着いた考察です。
あらかじめまとめておくと、Facebookは「社会人」、Twitterは「仲間」、mixiは「学校」という、サービス内の雰囲気をこのような代名詞に置き換えられると考えます。こう置き換えると、インタレストグラフと呼ばれるものがTwitterで一番機能しやすいのがすっきりはっきりするかと。

それではまず、Facebookでウケるコンテンツは「全うな人間として着飾れるもの」。自分がどう感じたか、どう思ったか、という感情はさておき、社会人がスーツをぴしっと着るように、女性が化粧をしてお気に入りの服を着るように、人の目を気にしたコンテンツがウケる。そう感じています。もう一度、あえて雑に言うと、自分が本心でどう感じたかなんてどうだっていいのです。

みんなが見て、美しいか。みんなが見て、幸せな光景か。みんなが見て、面白いものか。重要なのはそこです。そんなことないよ!自分の意思だよ!という方は大勢いるかと思いますが、無意識的に前者のようなものを軸にコメントしたり「いいね!」したりしたことが、無いということは無いと思います。ちなみにこの場合の「みんな」は、自分が繋がっているか、自分の友人そのまた友人あたりまでが繋がっているか、まあそのあたりの比較的近しい人を意味します。

なぜそのような現象が起きるかというと、Facebookには明確な数字が出ます。コメント数や「いいね!」数。そして、コメントはつけばつくほど再度人の目に晒されます。数字と言葉が、繰り返し人の目に晒される頻度が多い。仕事というものを軸に動く社会の構造と近しい位置にある環境だと思います。さらに、タイムライン化によってこの特性は強くなりましたが、Facebookはストック性が高い。これも繰り返し晒される原因です。だからこそどんどん無意識的に、感情が二の次になっていく。そうなりやすい構造が元々あるのです。

次に、Twitterでウケるコンテンツは「人間臭いもの」と「自分発信のようにすると都合の良さそうなもの」。このあたりはまだうまくまとまっていないのですが、今のところざっくりこの2軸だと思っています。Facebookは最初に人間関係がベースになっているのに対し、趣味・興味ベースであることが多いと思います。見る専門の人が多いことにも説明がつきます。あと、Twitterの特徴として、知らない人に気軽に話しかけても返ってくることが多いため、相手を無闇に近しく感じやすいということがあります。

日本人は特に、人の目を気にする人が多いと思います。それならばFacebookと同じようなものがウケるのでは、となるかもしれませんが、そもそも軸が違うのでそれはあてはまりません。本名も顔も晒している人ですら、です(むしろそういった人はTwitterで構築・補強される人間関係なんてほとんどの場合そもそも求めていません)。

では具体的に何がウケるか。それは、相手に親近感を感じさせる発言、自分が何かと関わっていることをアピールできるもの、このあたりだと感じています。Twitterは構造的に、良くも悪くも具体的なレスポンスをしやすい仕組みとなっているので「かまってもらっている」感を、承認欲求を、満たすまでの時間が短い。まあ構造的に、寂しがりホイホイなわけです。

人の目を気にするのにTwitterで人間味を求めるなんて矛盾してる!と思われるかもしれませんが、Twitterは承認欲求の発露場所として大いに機能する即時性と流動性があるため、失敗しても押し流してくれる構造となっています。Facebookのように、数日前の投稿が戻ってくることはあまりありません(RTですら大体流れて来るのはその日の投稿です)。だからとことん趣味・興味ベースで発言を繰り返して失敗しても、またかまってもらえる機会を探して延々それらを繰り返すわけです。

ちなみに「自分発信のようにすると都合の良さそうなもの」というのは、自分が相手のアカウントと関わっている証拠としてのRTや自分の意思のようにすり替えたRT、友人のツイートをRTすることで相手や周りへの仲間意識のアピールといったそういう類いのものです。

FacebookとTwitterの違いとして、投稿できるコンテンツとそれらが表示される形の違いがあります。Facebookで無意識的な反応が多くなるのは、視覚的コンテンツが流通しやすい環境であることが要因と言えると思います。画像を投稿すると、大きく画像が、こう、ばーんと流れてきます。それに対しTwitterは、どんなクライアント(tweetbotとかEchofonとかHootSuiteとか、引っ張ってきて表示するあれら)でもまず視界に入って来るのはテキストであることがほとんど。もちろんFacebookでも「ウケる文章」はありますが、それも大体画像や動画とセットで流れてくるものの場合が多いです。

テキストベースで評価軸となるTwitterの方が、SNS上で関係構築するのであれば「みんな」主体になるのでは。となりそうですが、Twitterはとにかく濁流のようにあらゆるものが押し流されるので、Facebookがいくら視覚的コンテンツベースでその人自身の思考や表現として機能しづらいといっても、繰り返し晒されるリスクが高くしかもストック性も高い故に、Facebookの方がいわば「リスキー」なわけです。

ここまでまとめると
・Facebookでウケるコンテンツは「全うな人間として着飾れるもの」
・Facebookは構造的に同じ投稿が人目に晒される機会が多いため、自分のコメントや「いいね!」の評価が無意識的にひっかかる
・Facebookでは比較的近しい「みんな」にウケるであろうコンテンツがウケる。例として、美しいものや景色、人や動物の幸せな場面、みんなが面白いと言っているもの。
・Twitterでウケるコンテンツは「人間臭いもの」と「自分発信のようにすると都合の良さそうなもの」
・Twitterは構造的に同じ投稿が人目に晒される機会が少ないため、失敗をあまり気にせずに利用し続けることができる
・Twitterでは人の承認欲求を満たせるコンテンツがウケる。レスポンスの良いアカウントや自分がRTすることで自分からの発信のようにすり替えると承認欲求が満たされるような情報、発言の類い。
・FacebookとTwitterの違いはコンテンツの見え方。前者は視覚的(写真や動画)、後者はテキスト。テキストベースのTwitterの方が関係構築的に一見リスキーだが、両者のサービス構造を比較したときに、ストック性の高いFacebookの方が結果的にリスキーとなる。

かなり全体的に粗く矛盾だらけの文章ではありますが、Twitterに連投したものを自分の頭のなかで新鮮なうちに加筆してまとめておきたいと思い、書きました。
まだまだ、GREEやmobage、Amebaピグ、ブログなどなどの特徴についても書きなぐりたいところですが、FacebookやTwitter以上にまるでまとまっていません。
また思いついたときにまとめ直したり、新たな記事として加筆や修正を加えることもあるかと思いますが。本日はひとまずここまで。