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フリマアプリが人々の消費動向を大きく変えていて、かなり衝撃を受けた

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今日、某フリマアプリの中の人やってる友だちに会ったんですけど、そのとき聞いた話が面白かったんですよ。

フリマアプリを使っている人たちの消費動向の話。売る側の人の話です。

「初めて売れたとき、感動するんだよね。自分が説明文やキャッチコピーを書いて、値付けをして、売れた!っていうことで。おこづかいになるっていうのもあるけど、売るための一連の行動によって、承認欲求が満たされるの」

物を売って承認欲求が満たされる、だと……!?

コツコツおこづかいにする目的があっても、それ以上に、「自分の力で物が売れる」中毒になっちゃうらしいです。

それこそとある主婦が、自分が出した物が売れるの楽しすぎて、片っ端から家の物売っちゃって、家に全然ものがなくなってしまった…と嘆く旦那さんがいるとかいないとか。

フリマアプリって開いてみると「え、なんでこんなもの売ってるの……」というものが結構あって。

さっきアプリで実際に見たのは、トイレットペーパーの芯と食品用ラップフィルムの芯の複数本セット。あと新聞紙とかもありますね。

これ、何に使うかっていうと、幼稚園や小学校で使うんですよね。図工の時間とかで。

「明日はおうちにあるものを持ってきてくださーい」とか子供が学校で言われるんですけど、実は以外とおうちにないんですよね、そういうものって。

芯とかいくつもないし、新聞紙はもう新聞とってない家もあるし、そういうニーズにマッチしてすぐ売れるらしいです。

もう、ユーザーがめちゃくちゃ賢い。賢いのひと言にするのは簡単だけど、どんなニーズがあって、どんなものを売れるかを考えて出品するわけですよ。

「これをお金にするには、どんな人にどうアプローチをして、どう値付けをすればいいのか」と。

使わなくなったものをお金にしたくて売るだけじゃなく、フリマアプリをよく使っている人たちは、もうあらゆるものがお金に見えるらしいですよ。

特に面白かったのが、「服を買うとき、好きなブランドの服と、人気のある(フリマアプリで売れそうな)ブランドの服があったら、後者を選ぶ」という話。

「買う」の先に「売る」を常に考えている層が出てきているってことです。

それこそ昔から、住宅や車などはそうだったと思うんです。

そしてブックオフなど中古買取・販売店の登場で本やゲームなども「のちのち売るためにきれいに使って、箱をとっておこう」とか「マンガは読み終わったらすぐに売ろう」とか。

でもそういうのとは、また違うんですよねこれは。

スマホで簡単に、しかもあらゆるもの(手づくり品や、もともと売り物でなかったようなものまで)を売れるようになり、さらには自分なりに価値を与えられるようになってきたんです。

これまでの中古買取・販売は、一旦買い取った業者が、価値をつけて売るわけじゃないですか。自分に入る額は、その後の販売価格より少ないわけで。

業者を介さないと売れないものもありますけど、その段階を踏まなくても自分で売れて利益を全部得られるなら、そりゃあフリマアプリ使いますよね。

あと、買い取ってもらったとき「え、こんなに安いの?」って思った経験がある人、少なくないと思うんですよね。そこの不満もフリマアプリなら解消されます。

「結局この話、”せどり”でしょ?」って思うかもしれませんが、せどりは売る目的で買ってる(仕入れてる)ので、ちょっと違います。自分が使いたい、ほしいという気持ちはちゃんとあるので。

「ネットオークションは違うの?」となるかもしれませんが、あれは自分で価値をつけるものではないので、また魅力が違うところにあります。

ハンドメイドマーケット系のサービスであれば、自分が作った物に価値が生まれた瞬間の感動が特に大事だと思ってたんですが、おそらくCtoC系サービスのユーザーが楽しんでいるのは

消費者ニーズを考える → それに合うものを選ぶ・作る → 売り方を考える・実践する → 購入される=価値が生まれる → うれしい!=承認欲求満たされる(おこづかいも手に入る)

究極は、この一連の流れなんですよね。自分が物を売るためにした努力が認められた瞬間が大事。「自分がしたことが正しかった、喜ばれた、認められた!」という……中毒性高いですね。

だから必ずしも自分で作ったものでなくても、きっと楽しめるんです。もちろん自分で作ったものなら思い入れも違って、より楽しいと思いますが。

考えながら書いているのでこの話全然ゴールとかないんですが、この新しい消費者行動プロセスに名前つけたいって話して今日は終わりました。


恋愛的視点でLINEの便利さを考える

今や世界中で使われているLINEですが、特に日本で流行った理由について、特に自分の感覚や世代的な視点で考えてみようと思います。かなり主観が多いとは思います。

そもそも今更感はありますが、自分で考えて咀嚼しておくことが、今後サービスなどを考える上で必要だと思ったのでつらつらと書きます。ちなみにクーポンやゲームなどはほとんど置いておいて、基本的なLINEというツールについてのお話です。

まず、携帯メールの一般化まで遡ります。学生のほとんどが携帯電話を持ち、携帯メールが一般化した頃。携帯メールは電話を特別なものにしました。どういうことかと言うと、まあ恋愛を例にすると分かり易いと思います。

まずはメールで仲良くなって、電話をするようになったら特別な存在。こういう現象が起きていたと思います。メールで告白は軽過ぎるけど、電話なら……といった意識が一般的に(特に学生くらいの年代に)あった(今でもあると思う)と思います。

しかしながら、ウィルコムの出現で一瞬電話が格下げされたときもありました。ウィルコム同士は24時間通話し放題ということで、学生が皆ウィルコムを持ち「今日家に帰ったらコムするねー」なんて(まるで今のLINEみたいですね)言葉が交わされることもありました。

しかしながらこれは仲の良い友人同士の話で、恋愛においては別です。やはりどちらにしろメールや普段会っての会話で仲良くなってから、電話をする仲になっていたと思います。

そしてLINEが出現しました。先にLINEがなぜ気軽かを考えておきたいと思います。

1. 連絡先交換が手軽
赤外線通信などがあると言ってもやはり連絡先の交換は何だかんだ言って手間です。「当人同士が会わないと交換できない」「連絡先が変更になった場合の一斉連絡が面倒」「飲み会などで大勢と一気に知り合うと全員と交換するのが面倒だし誰が誰だか忘れる」などなど。まあ不便なことはいろいろあると思います。

これらはLINEの場合すべて解消されています。

当人同士が会わなくても、IDさえ分かれば誰でも連絡先に追加することができます。電話番号は……メールアドレスは……なんてしなくてもIDさえ分かれば通話もチャットもできます。

さらに、1端末1IDであり、端末を変更したらそのままのIDを移行するだけなので、連絡先変更というものがそもそもありません。

そして飲み会など大勢が知り合う場でも、幹事がLINE内にグループを作成すれば、そこで飲み会の感想のやりとりができ、さらに個人的に連絡を取りたければグループ内からアカウントを探して登録することができます。

2. iPhoneユーザーにやさしい
これは連絡先交換でも言えることですが、iPhoneには赤外線通信機能がありません。これまで連絡先交換手段として一般化されてきたものがないのです。慣れ親しんだ機能がないことに不満や不便さを感じた人は多いと思います。

そんなときもLINEなら、口頭でIDを伝えるか「ふるふる」で交換することができます。機種に依存しません。便利。

3. チャットである
短時間に大量のメールをしていた人が一番感じていると思うのですが、送受信のタイムロスがほぼないのは嬉しいと思います。最近は「既読になっているのに返事がない」なんてLINEストレスもあるようですが。内容を遡りやすいのも便利ですね。

PCでチャットをする文化に親しみがなく、メールで短文のやりとりをいらいらしながらしていた層は便利さを一番実感したと思います。

4. スタンプがある
思ったことや感情をわざわざ文章で打って返すのが面倒なときにスタンプは便利です。考えなくていいので気軽です。しかもスタンプを押しているだけでしばらく会話にもなります。

ちなみにスタンプは絵文字の派生だと言う人もいるかもしれませんが、それは少し違います。確かに「絵で感情を表現して送る」という点では絵文字と共通していますが、絵文字はそれ単体では意味を成しません(組み合わせて使うのは例外とします)。

以上のような理由で、LINEというツールはメールよりも気軽で手軽なものとして位置づけられ、利用されるようになったと考えます。

するとどうなったか。なんと携帯メールが特別化されました。むしろこれまでは、好きな人にメールをすることすらためらう女子は多かったと思います。

しかしながらLINEは、大勢で会ったらグループが作成され、その内容からスムーズに個人の連絡に移行することができ、スムーズにお互いの連絡先を知ることができ、チャットで慣れたらそのまま無料通話へ進むこともできます。むしろ、メールと電話という携帯電話の基本機能皆殺しのようなところもあります。

「メールって文章を打たなくちゃいけないから、スタンプや短い言葉でも何とかなるLINEだと、相手にどう思われるかとか気にしすぎなくて楽だよね」と誰かが言っていた気がします。誰だかは忘れました。メールだと好きな人にどう思われてしまうかなどあれこれ考えすぎないで、何かしらスタンプを送ってみれば良いのです。

そして文章として伝えたいことがあればメールをすれば良いのです。おそらく「LINEで告白はちょっと軽過ぎるけど、メールできちんと文章にするならまだいいかもー」なんて会話がありそうです。私の学生時代は「メールで告白は軽過ぎるけど、電話ならー」という会話をよく聞いた気がします。あれ、もう何年前だろう……

蛇足ですが最近LINEが派生サービス(ゲームやらマンガやら)を続々と初めていますが、あれらもそういったコミュニケーションのきっかけになるので、ユーザーは至ってスムーズにかつ喜んで使っていると思います。

なんて言うか、LINEって誰も不幸にならない感じが良いよね。(出会い系みたいに使われるのは、あれはサービス自体の問題ではない)

そろそろまとめます。

新しい製品、サービス、ツールの最大の的は「めんどくさい」です。そのためにIAやらUIやらUXやらがあるわけですが、要はそれ(製品やサービス、ツール)が、既にある「めんどくさい」を解消してくれるか、「めんどくさい」を意識せずに使える(つい使ってしまう)ものであるかが重要なわけです。

そこで恋愛的な考え方は良くて、LINEの場合

片想いしている相手
「連絡先交換、めんどくさいって思われちゃったらどうしよう」
(気軽に手軽にできる。めんどくさくない。)
「あれこれ考えてたら長文になっちゃった…気軽に連絡するにはどうしよう」
(「今何してる?」とか送らなくても、適当にスタンプ送ればこっちも向こうも気軽。)

→ 既にある「めんどくさい」(要はメールでめんどくさかった部分)を解消

片想いされている相手
「連絡先交換して、って興味持たれてるのかな」
(気軽に手軽に交換できるから良くも悪くも意識させずに済む)
「メールが来たけど、文章考えるの面倒だな」
(スタンプ適当に返しておけばOK、気づかないうちに連絡が続き、良い感じになったり)

→ 「めんどくさい」を意識せずに使える

両方を解消しているわけです。

「これってコミュニケーション系のサービスやツールにのみ言えることなのでは?」と思うかもしれませんが、そうではないと思います。

あらゆるものを使うときに恋愛的視点になると、たとえばECであれば、プレゼントを選ぶとしたらどんなUIが良いかだとか、デートに着て行く服を購入するにはどんなサービスだと使ってもらいやすいかとか。カメラアプリなら、どんな加工ができれば好きな人の興味を引きつけられるか(美肌・美白にできればLINEのアイコンにしたとき印象が良いとか、かわいくデコった写真を送れば好感度が上がるだとか)とか。

恋愛的視点というか、昔モバイルコンテンツの流行が女子に携帯電話が普及したことで爆発的になったように、女子視点その中でも特に女子の恋愛視点はサービス構想においてかなり有効だと思うわけです。

フロー型とストック型をくり返すウェブサービスたち

ウェブサービスってフロー型とストック型をくり返してるなーと。肌感覚と想像で書きますね。大事なことなので二回言いますが、肌感覚と想像で書くので、特にきちんとした根拠もなければ参考データのようなものも用意していません。これまで自分でいろいろ使ってきての、ざっくりした考察程度です。

先にフロー型とストック型それぞれを定義しておくと、フロー型は情報のリアルタイム性が高く、質よりもスピードが重視されるもの。ストック型はフロー型ほどのリアルタイム性はないものの、情報の質が比較的高くある程度読み手に配慮をして情報がまとめられているものとしておきます。

さて、まずはちょっと昔の話。

昔は掲示板やチャットが流行して、人々は様々な情報や意見が交わされる場としてのインターネットを楽しんでいたと思います。

これが最初のフロー型の話。

それからウェブログサービス、まあブログが始まりまして、人々は自分の日常や持っている情報をストックし、それをコンテンツとしてユーザー同士が楽しむようになりました。

ブログを持っている人たちは毎日の文章発信では足りず、そこにプロフィールなどもろもろ自分を紹介して他者と繋がるためのものを装飾し始めました。

そこにうまいこと登場したのがmixiやFacebookなどのSNSで、それらは用意されたブログという枠組みを、ユーザーが求める形で拡張し始めたと思います。日記を書き、コミュニティやゲームなどを用意し、コンテンツを通して他者と繋がりたい欲求を満たすようにどんどんサービスを拡張していきました。

特にmixiは、日本人の「インターネットは怪しい場所」というような印象を軽減するために、当初招待制という形をとり、ブログなどに親しみのないユーザーでも容易に扱える形式を用意し、上手に取り込んだと思います。

少し脱線すると、前略プロフィールあたりは面白くて、プロフィールというベースにユーザーが独自であらゆるものを足すようになりました。外部の日記サービスを足したり、プロフィールをまめに更新することでリアルタイム性を持たせたり、主に学生同士が名刺代わりにすることで、インターネット外、現実の場で広まっていきました。そういったサービスの一人歩きが起きるのも面白いわけですが。

ここまでがストック型の話。以降またフロー型が戻ってきます。

その頃ブログでは、特にこれは日本の話だと思うのですが、アメブロを中心に芸能人がこぞって更新頻度を競い合うようになりました。コンテンツの質ではなく、どれだけ新しい情報を提供出来るか、新しい情報をユーザーが得られるか、それらが重要視されてきた時期だと思います。

mixiが飽和状態になり始めた頃、日本でTwitterを使う人たちが増え始めました。まずはアーリーアダプターに広まりましたが、更新頻度を競っていた芸能人がこぞってTwitterを始めました。それによってさらにフロー型を求めるユーザーが爆発的に増えてきます。そしてFacebookが日本語化され、ストック型に飽きてきていたユーザーたちが、mixiのような和製SNSにあるストック性を排除したFacebookにじわじわ集まってきました。

少し角度を変えると、ソーシャルゲームも波に乗ったフロー型のひとつだと思います。提供者側に日々用意された情報(ゲーム内容)を受信して、ユーザー同士で助け合い(他者と繋がりたい欲求を満たす)、これもある種フロー型だと思います。属性的にはちょっと違いますけども。

ここまでが、直近のフロー型の話。

で、そろそろまたストック型が戻ってきそうだなーという臭いを、なんとなく感じています。

アーリーアダプターに広まっているのが有料メルマガ。そしてブログは更新頻度を競い合うものから良質な情報を提供し合う場に変化しているような印象を受けます。ブログに関して、時事的なものやビジネス要素の強いものはまだ広まり始めの段階だと思いますが、幅広い層の女性にとって、良質な美容やファッション情報を得る場としてかなり確立されている印象を受けます。

実際GREEのMagalyなど、既にベースとなるユーザーがいる場で始まった有料メルマガサービスもありますし、巷ではソーシャルメディア疲れなるものも流行っているようですし、そろそろフロー型がおとなしくなる時期かなと思っています。

おそらくアメーバあたりが有料メルマガのようなものを始めたら、急速にストック型が主流として戻ってくると思います。TwitterやFacebookも生き残るとは思いますが、主流とまではいかず、リアルタイム性の高い情報を提供・受信する場として役割がはっきりとした形で残ると思います。

これまでモバイルコンテンツの主流変化で顕著だった気もしますが、まあ女性が大きく動いたら主流変化のスピードは加速するよなあと。これからもきっとそうでしょう。要はアメブロ層をうまく動かして、ストック型主流再来してほしいなあと思っています。

一応まとめておきますね。

・ウェブサービスはフロー型とストック型で主流を交代し続けている
・掲示板やチャットの時代はスピード感のある情報が飛び交っていた(フロー型)
・ブログが登場して日記や情報、思考をまとめる人々が現れた。mixiやFacebookの登場でその主流が安定した。(ストック型)
・ブログで内容より更新頻度が重視されるようになり、Twitterも登場し、昔のフロー型よりも情報が飛び交うスピードが加速。(フロー型)
・mixiで飽きられてきていたストック要素がない日本語化されたFacebookが広まり、フロー型が定着してきたが、人々は次第にフロー型のスピードに疲れを感じてきた。(そろそろフロー型が怪しくなってきた)
・有料メルマガが広まり始め、ブログ内容の質は向上し、ソーシャルメディア疲れの流行などから、ストック型主流再来の予感。

ここまで書いてきて、いろいろ考えていて、面白いなあと思ったのは、ブログってサービスはずっと変わりなくあるのに、その使い方の主流だけが変化してきているから、それをなんとなく追っていると、サービスの主流とリンクしている気がするんですよね。

まあウェブサービスと一口に言っても、いろいろな属性のものがあるので、今回は表面的な主流考察でした。まあその辺考察しとかないと、派生サービス出すタイミング逃しそうだしね…私は別に出さないけど…

以上、ざっくり肌感覚と想像のまとめでした。(大事なことなので三回目)

mixiは私にとって「もうひとつの学校生活」だった

前の記事で、mixiについて冒頭で書いておきながらそれ以降一切言及しないという失礼をかましたので、私にとってのmixiで一記事書いておこうと思います。実はmixiは、私の「あこ」という名前が生まれたターニングポイントとも呼べる「居場所」でした。

2007年、私は18歳でした。当時まだ18歳未満は利用ができなかったので、大学入学と同時にmixiの利用がスタートしました。あと、まだ「招待制」でした。知人からの招待をされないと、参加できない制限がありました。懐かしいですね。

12年間を同じ学校で過ごし、まったく新しい環境というのは大学が初めて。そんなとき見つけたのが、同じ大学に入学する同級生たちが作ったコミュニティでした。そこでは「入学初日に、みんなで集まろう」というイベント告知がおこなわれていました。

新しい環境に少なからず不安を感じていた私はそこで数名とメッセージで交流をし、実際に初日に20人程度で集まって食事をしました。そのとき出会った数名は、今でも連絡を取り合い、頻繁に会う仲間です。

その頃GREEもありました。その頃のGREEはmixiとそっくり(まだ「ソーシャルゲームのGREE」ではなかった)ではあったものの、招待制ではないSNSで、私の周りでは「あまり活性化していない上に招待制ではないから危ない気がするSNS」という印象で知られていた記憶があります。

あの頃のmixiは、「招待制だから信頼できるサービス」と18歳以上しか利用ができないゆえの「僕たち・私たちのためのSNS」という印象があった気がします。

今では15歳未満・招待不要という環境になり、タイムラインやらつぶやきやらカレンダーやら、機能としては嬉しいけどmixiにはいらない二番煎じ要素がどんどん増え、なんというか闇鍋SNSといった印象です。

私のmixiのスタートは大学入学と同時で、さらにその主な用途が同じ大学の同級生との交流であったため、日記には大学での出来事を書き、そこには大学の友人たちからのコメントがつき、友人たちと遊んだときの写真を共有し、公開範囲は「友人までの公開」。

そこには「もうひとつの学校生活」がありました。大切な記録です。卒業アルバムより価値があるものです。

あと、面白かった特徴としては、お互いが何者かを実際に会って知っているのに、使用する名前はハンドルだという点。よくこの特徴は他でも挙げられていますが。あれはなぜだったのでしょうね。でも、あの不思議な決まり事のおかげで、なんだかサービスに愛着があった気がするのです。

私は現在24歳ですが、ちょうどその前後の世代にとって、mixiは青春そのものだったのではないでしょうか。おそらくそういった使い方をしていた人はたくさんいると思っていて、メディアでは「mixiは終わった」だの何だの言われていることもありますが、そうではなく、mixiど真ん中世代が「mixiを卒業した」のです。

以前の記事でmixiは「学校」という表現を用いましたが、まさに、もうひとつの学校生活であった「mixiを卒業した」のです。大事なことなので二度言いました。

mixiのアーリーアダプターであったりする、現在20代後半から30代の方々あたりは、また違った使い方をしていると思います。そういったお話もよく聞きます。でも今回は私の、同世代にとっての、mixiという青春時代のことを書きました。

今でもたまにmixiを開いたり、日記を更新したりします。それはなぜか。そこにはあの頃の学校生活が残っているからです。それに、まだmixiを利用している同級生はたくさんいます。正直「mixiは終わった」などと大声で言っているのは、少なくとも私の周りではインターネットに関わる仕事をされている方々ばかりです。

あと、これは今回の話とずれますが、私の母はmixiヘビーユーザーです。mixiを「居場所」として、mixiで出会った人たちと毎日コミュニティで、別の顔をして交流をしているようです。本名・本性は一切出さずに。(母は友人同士でLINEもヘビーユーズしているので、ちょっと特殊かもしれませんが)

mixiを利用する頻度は確かにぐっと減りました。しかしながら私は、「卒業アルバムを開くようにmixiを開く」のです。もうひとつの学校生活であったmixiをそっと開き、時折過去を振り返り、懐かしむのです。

Facebookで着飾り、Twitterで承認欲求を満たす日本人

「日本人」とタイトルに入れていますが、そもそも私自身が海外事情に疎いため、付けるべきなのかは正直迷いました。ですが、私が見て考えてきてここに書くのは「日本人」のみのことなので、そのままにします。

私は前職で1年9ヶ月、現職で約4ヶ月、ソーシャルメディアの活用を軸とする仕事に携わってきました。企業のFacebookページ立ち上げや、キャンペーンの企画、アカウント運用支援、実際の運用、ユーザー動向の解析、TwitterやFacebookを活用したスマートフォンアプリの企画やUI/UXについてかじったり、制作進行をまとめたり。たくさんの人に支えられ助けられ自分ひとりでやったことなんてありませんが、あらゆる場面でがむしゃらに手を動かし、頭を動かしてきました。大学での卒業制作もソーシャルメディアをテーマとしたようなものだったので、ソーシャルメディアのことばかり考えて3年前後といったところでしょうか。(ソーシャルゲームにおける人間性に関してはまだまだ考え始めの段階です)

以降は、さまざまなTwitter、Facebookのアカウントを運用したり、ページ管理をしたりして行き着いた考察です。
あらかじめまとめておくと、Facebookは「社会人」、Twitterは「仲間」、mixiは「学校」という、サービス内の雰囲気をこのような代名詞に置き換えられると考えます。こう置き換えると、インタレストグラフと呼ばれるものがTwitterで一番機能しやすいのがすっきりはっきりするかと。

それではまず、Facebookでウケるコンテンツは「全うな人間として着飾れるもの」。自分がどう感じたか、どう思ったか、という感情はさておき、社会人がスーツをぴしっと着るように、女性が化粧をしてお気に入りの服を着るように、人の目を気にしたコンテンツがウケる。そう感じています。もう一度、あえて雑に言うと、自分が本心でどう感じたかなんてどうだっていいのです。

みんなが見て、美しいか。みんなが見て、幸せな光景か。みんなが見て、面白いものか。重要なのはそこです。そんなことないよ!自分の意思だよ!という方は大勢いるかと思いますが、無意識的に前者のようなものを軸にコメントしたり「いいね!」したりしたことが、無いということは無いと思います。ちなみにこの場合の「みんな」は、自分が繋がっているか、自分の友人そのまた友人あたりまでが繋がっているか、まあそのあたりの比較的近しい人を意味します。

なぜそのような現象が起きるかというと、Facebookには明確な数字が出ます。コメント数や「いいね!」数。そして、コメントはつけばつくほど再度人の目に晒されます。数字と言葉が、繰り返し人の目に晒される頻度が多い。仕事というものを軸に動く社会の構造と近しい位置にある環境だと思います。さらに、タイムライン化によってこの特性は強くなりましたが、Facebookはストック性が高い。これも繰り返し晒される原因です。だからこそどんどん無意識的に、感情が二の次になっていく。そうなりやすい構造が元々あるのです。

次に、Twitterでウケるコンテンツは「人間臭いもの」と「自分発信のようにすると都合の良さそうなもの」。このあたりはまだうまくまとまっていないのですが、今のところざっくりこの2軸だと思っています。Facebookは最初に人間関係がベースになっているのに対し、趣味・興味ベースであることが多いと思います。見る専門の人が多いことにも説明がつきます。あと、Twitterの特徴として、知らない人に気軽に話しかけても返ってくることが多いため、相手を無闇に近しく感じやすいということがあります。

日本人は特に、人の目を気にする人が多いと思います。それならばFacebookと同じようなものがウケるのでは、となるかもしれませんが、そもそも軸が違うのでそれはあてはまりません。本名も顔も晒している人ですら、です(むしろそういった人はTwitterで構築・補強される人間関係なんてほとんどの場合そもそも求めていません)。

では具体的に何がウケるか。それは、相手に親近感を感じさせる発言、自分が何かと関わっていることをアピールできるもの、このあたりだと感じています。Twitterは構造的に、良くも悪くも具体的なレスポンスをしやすい仕組みとなっているので「かまってもらっている」感を、承認欲求を、満たすまでの時間が短い。まあ構造的に、寂しがりホイホイなわけです。

人の目を気にするのにTwitterで人間味を求めるなんて矛盾してる!と思われるかもしれませんが、Twitterは承認欲求の発露場所として大いに機能する即時性と流動性があるため、失敗しても押し流してくれる構造となっています。Facebookのように、数日前の投稿が戻ってくることはあまりありません(RTですら大体流れて来るのはその日の投稿です)。だからとことん趣味・興味ベースで発言を繰り返して失敗しても、またかまってもらえる機会を探して延々それらを繰り返すわけです。

ちなみに「自分発信のようにすると都合の良さそうなもの」というのは、自分が相手のアカウントと関わっている証拠としてのRTや自分の意思のようにすり替えたRT、友人のツイートをRTすることで相手や周りへの仲間意識のアピールといったそういう類いのものです。

FacebookとTwitterの違いとして、投稿できるコンテンツとそれらが表示される形の違いがあります。Facebookで無意識的な反応が多くなるのは、視覚的コンテンツが流通しやすい環境であることが要因と言えると思います。画像を投稿すると、大きく画像が、こう、ばーんと流れてきます。それに対しTwitterは、どんなクライアント(tweetbotとかEchofonとかHootSuiteとか、引っ張ってきて表示するあれら)でもまず視界に入って来るのはテキストであることがほとんど。もちろんFacebookでも「ウケる文章」はありますが、それも大体画像や動画とセットで流れてくるものの場合が多いです。

テキストベースで評価軸となるTwitterの方が、SNS上で関係構築するのであれば「みんな」主体になるのでは。となりそうですが、Twitterはとにかく濁流のようにあらゆるものが押し流されるので、Facebookがいくら視覚的コンテンツベースでその人自身の思考や表現として機能しづらいといっても、繰り返し晒されるリスクが高くしかもストック性も高い故に、Facebookの方がいわば「リスキー」なわけです。

ここまでまとめると
・Facebookでウケるコンテンツは「全うな人間として着飾れるもの」
・Facebookは構造的に同じ投稿が人目に晒される機会が多いため、自分のコメントや「いいね!」の評価が無意識的にひっかかる
・Facebookでは比較的近しい「みんな」にウケるであろうコンテンツがウケる。例として、美しいものや景色、人や動物の幸せな場面、みんなが面白いと言っているもの。
・Twitterでウケるコンテンツは「人間臭いもの」と「自分発信のようにすると都合の良さそうなもの」
・Twitterは構造的に同じ投稿が人目に晒される機会が少ないため、失敗をあまり気にせずに利用し続けることができる
・Twitterでは人の承認欲求を満たせるコンテンツがウケる。レスポンスの良いアカウントや自分がRTすることで自分からの発信のようにすり替えると承認欲求が満たされるような情報、発言の類い。
・FacebookとTwitterの違いはコンテンツの見え方。前者は視覚的(写真や動画)、後者はテキスト。テキストベースのTwitterの方が関係構築的に一見リスキーだが、両者のサービス構造を比較したときに、ストック性の高いFacebookの方が結果的にリスキーとなる。

かなり全体的に粗く矛盾だらけの文章ではありますが、Twitterに連投したものを自分の頭のなかで新鮮なうちに加筆してまとめておきたいと思い、書きました。
まだまだ、GREEやmobage、Amebaピグ、ブログなどなどの特徴についても書きなぐりたいところですが、FacebookやTwitter以上にまるでまとまっていません。
また思いついたときにまとめ直したり、新たな記事として加筆や修正を加えることもあるかと思いますが。本日はひとまずここまで。

人と人を繋ぐウェブサービス

今日は、コーヒーミーティングnanaのイベントに行ってきました!
どちらもリリース前後から大好きなサービスです。

先週末はSAKELIFEの忘年会にも参加してきましたが、どのサービスにも共通するのは、人と人を繋ぐ手助けをしてくれるというところ。

コーヒーミーティングは人々の隙間時間を有効活用するきっかけを生んでくれて、たくさんの素敵な出逢いを作り出してくれているし、nanaは「音楽」というとても素敵なものを使って人と人を繋げてくれる。SAKELIFEはインターネットを利用した定期販売サービスでありながら、インターネット上だけで完結しない関係性を築くことを大切にしているサービス。SAKELIFEに関しては定期販売だけれど送り先の変更ができるので、プレゼントとしても利用することができます。

家族・親戚・友人のような近しい人、仲良くなりたい人、まだ出逢っていない人、いろんな人との繋がりを生んでくれる、どれも素敵なサービスです。

どのイベントも、たくさんの人の笑顔で溢れていました。行ってよかった!

これからのメディアでライターがサバイブしていくには?「次世代ライター会議 vol.1」に参加してきました。

9月14日、TechWaveの増田真樹さん主催「次世代ライター会議」vol.1に参加してきました。
今回はトークセッション形式で、登壇されたのはTechCrunchJapan編集長の西田隆一さんとBiz誠編集長の吉岡綾乃さん。

ブログやソーシャルメディアなどを活用した個人の発信力が力をつけてきた今、ライターはどう生き抜くべきか。
「書き伝える」ことのプロになるため、今求められる「書く」スタイルを身につけるのがこのイベントの主旨。
定期イベントとして今後はワークショップなども開催し、継続的に参加者同士が互いの能力を高め合える場としていくそうです。

今回の内容の総括としては「個人が力をつけることが重要」といったものでした。

現状のウェブメディアはとにかく「早いもん勝ち」で、媒体も記事も差別化が失われているそう。では今後のウェブメディアはどうあるべきか。
「特徴的に書ける人が、満足度の高いメディアを育て易いのではないか」そう語られたのは、TechCrunchJapanの西田さん。
元々TechCrunch自体も個人ブログからメディアに発展したそうで、書き手がファンを作ればそれがひとつの媒体になる可能性があると考えられているようです。

確かに、最近ではcakesのように個人の書き手に収益が生まれるプラットフォームや、
SynapseGrow!のように個人のもつコンテンツに対価が支払われるプラットフォームが増えてきています。
少し前からのものになると、CAMPFIREなどのクラウドファンディングも個人や団体の可能性に投資するという面で似た性質をもっています。

SAKELIFEなどの定期購入サービスも、選び抜かれる商品の可能性に投資すると考えれば同じ性質をもっています。
わかり易いものだとBoxToYouは個人が選び抜いた商品を定期販売することができるプラットフォームとなっています。

これらに共通しているポイントは「キュレーションスキル」です。
個人や団体が選び抜いたものの「質」に対価が支払われる土壌がウェブにおいて出来てきています。
実際、個人のキュレーションスキルに焦点をあてたNAVERまとめはそのプラットフォームとしての力を唯一無二のものにしています。

今後はライターにも、情報の早さだけでなくキュレーションによって個人でメディアを育てていく能力が必要となりそうです。
(既に有名ブロガーと呼ばれる人たちはそれで食べていたりもするようですし、まだ著名人のみではありますが有料メルマガが既にその形を成していたりもします)
要は、ライター自身が編集スキルをもっていないと生き残っていけないよ!ということですね。

では、そのような時代に書き続けていけるライターとは具体的にどんな人か。

西田さんと吉岡さんからのご意見としては
・専門的な知識に長けている(情報の考察や補足で差別化をはかることができる)
・取材力がある(専門性にマッチした取材をきちんと行うことができる)
・読者層を想像して書くことができる
・フットワークが軽い(好奇心があり情報を足で稼ぐことができる)
などが挙げられていました。

NHNJapanの田端信太郎さん主宰「東京編集キュレーターズ」の編集キュレーターアカデミーにも参加していますが、
これまでの、これからのキュレーションについては考え続け、実践していきたいと思っています。

iPhoneアプリ「nana」使ってみました

「世界と歌おう」をコンセプトとした音楽共有iPhoneアプリ「nana」が、8月21日にリリースされました。
リリース前からかなり話題になっていたこともあり、かなり期待し、心待ちにしていたので嬉しいです。

どのようなアプリかと言うと
1. 自分の歌や演奏をiPhoneのマイクで手軽に録音し、アプリ内フィードに投稿できる
2. 歌や演奏にエフェクトをつけることができる
3. フィードから歌や演奏を楽しみ、人と繋がり交流ができる
4. 「拍手」や「コメント」による評価だけでなく、既存の投稿に重ねて合唱やセッションができる

これらが特徴となっています。
歌や演奏でとことん交流ができるというとても楽しいサービスです。

録音画面はこんな感じ。左下の赤いRECボタンを押すと、60秒間の録音が開始します。

再生画面はこんな感じ。確認してエフェクトかけて、投稿という流れです。
投稿された再生画面からは「拍手」「コメント」で交流ができます。

マイページはこんな感じ。
自分の投稿や拍手した投稿、フォロー/フォロワーを確認することができます。

使ってみて驚いたのは、フィードの流れがかなりアクティブでたくさん投稿・交流(合唱やセッション含め)されていること。
自分が録音して驚いたのは、音質の良さです。自室でデスクにiPhoneを置いて、その前で普通にギターを弾きながら歌ったのですが、歌も演奏もとてもクリアに録音されていました!

皆さんも是非使ってみてくださいね!

2012年8月25日(土)【スクーの放課後 vol.1】参加してきました

schoo(スクー)の初オフイベント「スクーの放課後」に参加してきました!

スクーとは、Facebookアカウントで入学(登録)できる学校をコンセプトとしたweb生中継授業(抽選制で現地参加有り)を配信するサービス。
30分で展開されるスペシャリストの方々の授業はどれも様々な切り口で無料とは思えないクオリティです。

今回のイベントはスクーに関わる様々な人と交流しながら「今後のリニューアル、展開について」(オフレコなので内容は省略)を伺うことができるという、貴重な機会でした。

今後のコンセプトは「みんなでつくる、みんなで学ぶ」。
展開予定内容は「学習」の方法のかゆいところに手が届く!といったようなものでした。
具体的な中身を書けないことをとても悔しく思います。
実際にサービスがリニューアルされた際、きっと皆さんも「そうそう、こういう学習をしたかった!」と感じるはずです。

開催場所は、スクーが拠点とするコワーキングスペースstartup44田(よしだ)寮
このイベントに参加するまで名前を聞いたことがある程度だったのですが、実際伺うのは初めて。
渋谷駅から歩いて5分と少し、マンションの一室の、落ち着く空間でした。

写真はいただいたスクーオリジナルグッズの、ボールペンとステッカー。ロゴが素敵です。